2009年03月22日
演劇の悲劇
日本の演劇は、歴史的に誤解がしみついてる。
演劇でも、伝統という歴史が古い「ジャパニーズエンターテーメント」の歌舞伎は
芸術として君臨している。でもさ、江戸時代は庶民の娯楽だったから、時事ネタも
かなりあったようだ。
演劇を「〇主義」「〇〇反対」なんて宣伝や思想宣伝なんぞに利用したもんだから
演劇=〇主義 なんて図式でまだ思っている人たちも少なくない。
演劇は、だれでも享受できる娯楽であり芸術なのに、戦前戦後の亡霊のように「演劇」
という言葉や表現の前にただよっているように思える。
現代に入って少しづつそれは薄らいではいるようだが、そのせいで「怪しい」「うさんくさい」
と日本人の心の中に刷り込まれてきたのではないか、と思われるのです。
世界的に、「演劇教育」が表現能力を活発にさせたり、コミニュケーション能力を高めたり
積極的・自発的な活動を促したり、子供たちが生き生きと生活するようになったという事例が
多く報告されている。「演劇教育」とは、「演劇的スキルを使ったアプローチ」が主である。
お金はあって邪魔にならない物ですよね。
例えば、お金を悪い人が悪いことをして持つとそのお金は悪くなりますか?
心やさしい貴方が福祉や世界平和のために募金をしたらそのお金は良いお金でしょうか?
「お金はお金です。良くも悪くもありません。」要するに使う人の、使う目的によってお金を
使った結果が変わってしまうものなんです。
「お金はニュートラルな存在」なのではないでしょうか。
演劇という表現活動も同じです。無限の表現活動ができる演劇という活動を「楽しみ」「芸術」
「こころ育て」の手段としてとらえていいのです。

演劇でも、伝統という歴史が古い「ジャパニーズエンターテーメント」の歌舞伎は
芸術として君臨している。でもさ、江戸時代は庶民の娯楽だったから、時事ネタも
かなりあったようだ。
演劇を「〇主義」「〇〇反対」なんて宣伝や思想宣伝なんぞに利用したもんだから
演劇=〇主義 なんて図式でまだ思っている人たちも少なくない。
演劇は、だれでも享受できる娯楽であり芸術なのに、戦前戦後の亡霊のように「演劇」
という言葉や表現の前にただよっているように思える。
現代に入って少しづつそれは薄らいではいるようだが、そのせいで「怪しい」「うさんくさい」
と日本人の心の中に刷り込まれてきたのではないか、と思われるのです。
世界的に、「演劇教育」が表現能力を活発にさせたり、コミニュケーション能力を高めたり
積極的・自発的な活動を促したり、子供たちが生き生きと生活するようになったという事例が
多く報告されている。「演劇教育」とは、「演劇的スキルを使ったアプローチ」が主である。
お金はあって邪魔にならない物ですよね。
例えば、お金を悪い人が悪いことをして持つとそのお金は悪くなりますか?
心やさしい貴方が福祉や世界平和のために募金をしたらそのお金は良いお金でしょうか?
「お金はお金です。良くも悪くもありません。」要するに使う人の、使う目的によってお金を
使った結果が変わってしまうものなんです。
「お金はニュートラルな存在」なのではないでしょうか。
演劇という表現活動も同じです。無限の表現活動ができる演劇という活動を「楽しみ」「芸術」
「こころ育て」の手段としてとらえていいのです。
2009年03月22日
「ドラマケーションと出会ったあ」つづき

さまざまなシーンで自分が今どこにいるのか、これでいいのか、気持ちいいのか
大丈夫なのか、満足できるのか・・・・自分の気持ちの揺らぎや、覚悟をそれとなく
確信するように見回しては一喜一憂しています。
少なくとも、私にはそんなシーンが多かったのです。
仕事は、生活のため、趣味は自分のため。それでいいと思います。
では、生活のための仕事は、自分の中に納得させることができても、趣味を封じなければ
ならなくなったらどうしますか?
趣味というのは、自分の好きな事です。誰が何と言おうと「好き」な事なんです。
趣味を楽しむことは自分の精神を安定させる為にとても有効で、ストレスを解消させる特効薬
と言えるのではないでしょうか。持論ですが。
演劇的アプローチというのは、ダイレクトに演劇をすることではなく、「〇〇ごっこ」「見立て
遊び」「変身遊び」などの屈託のない、素直で夢と現実が入り混じった子供の世界を改めて体験
することから始まります。
100%自分が認められる、安全な環境を約束した世界。参加者を100%信頼している世界。
特に「ドラマケーション」では、そこのところが「目から鱗」でした。
私は人間の相互の関係性の基礎、演劇の基礎がそこにあると考えます。
「あーしなさい・こうしなさい」と言われることではなく「自分の中から湧き出る」「頭の中から
どんどん広がるイメージの数々」。小さな公園にいるはずなのに、誰も見たことのない世界で冒険
している。動物とも話ができて、みんなで悪いやつを退治に行ったり・・・。
遊びのなかから「好きなこと」の種を見つけ、人それぞれの経験を重ねて「趣味」という安住の世界を
持つことで、日頃のストレスをチャラにしているのではないでしょうか。
今の子供は、「大人が望むことを敏感に感じ取り、大人の要求にあえて合わせてくれている。」
大人の顔色を窺っている」「自由にしていいよと言われると困ってしまう」
今の大人もさほど変わらないけどね。「自分が何をしたいのかわからない」「自分の価値観だと
思っていたら、自分の本心と違っていた」複雑にねじれ現象を起こしている人が多いと思う。
十人十色。様々な人間のねじれをリセットしてくれるのが「あそび」「遊びに夢中になる」こと。
≪自分を認める≫ということが始まりと以前書いたけど、≪自分を肯定する(認める)=良い面・悪い面・強い弱い・だらしない・などのあらゆる自分をまるごとそのまんま認める≫ことこそ、自分以外の
人間を認め、受け入れることができるのです。世の中には、「生理的に好かない」人もいるでしょうが
自分から見て「好き嫌い」があるだけで「人間」としてみたら、本質的には大きな違いがどれほどあるのでしょうか。
「演劇的アプローチ」は、子供はもちろんですが「大人」こそ、体験してほしいです。
なぜなら、「固まって」しまっているからです。
硬くなってしまった肩こりは辛い。硬くなった脳みそは、なかなか柔らかくならない。
知らないうちに脳みそが軟らかくなり、大きな声を出して体の中から運動して、気づいたらパワーが
みなぎっている!遊快塾に一度はおいで♪ください。
Posted by ダイヤ at
16:03
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