「ドラマケーションと出会ったあ」つづき

ダイヤ

2009年03月22日 16:03

人には「得手不得手」「適材適所」「好きなこと、嫌いなこと」
さまざまなシーンで自分が今どこにいるのか、これでいいのか、気持ちいいのか
大丈夫なのか、満足できるのか・・・・自分の気持ちの揺らぎや、覚悟をそれとなく
確信するように見回しては一喜一憂しています。
少なくとも、私にはそんなシーンが多かったのです。

仕事は、生活のため、趣味は自分のため。それでいいと思います。
では、生活のための仕事は、自分の中に納得させることができても、趣味を封じなければ
ならなくなったらどうしますか?
趣味というのは、自分の好きな事です。誰が何と言おうと「好き」な事なんです。
趣味を楽しむことは自分の精神を安定させる為にとても有効で、ストレスを解消させる特効薬
と言えるのではないでしょうか。持論ですが。

演劇的アプローチというのは、ダイレクトに演劇をすることではなく、「〇〇ごっこ」「見立て
遊び」「変身遊び」などの屈託のない、素直で夢と現実が入り混じった子供の世界を改めて体験
することから始まります。
100%自分が認められる、安全な環境を約束した世界。参加者を100%信頼している世界。
特に「ドラマケーション」では、そこのところが「目から鱗」でした。
私は人間の相互の関係性の基礎、演劇の基礎がそこにあると考えます。

「あーしなさい・こうしなさい」と言われることではなく「自分の中から湧き出る」「頭の中から
どんどん広がるイメージの数々」。小さな公園にいるはずなのに、誰も見たことのない世界で冒険
している。動物とも話ができて、みんなで悪いやつを退治に行ったり・・・。
遊びのなかから「好きなこと」の種を見つけ、人それぞれの経験を重ねて「趣味」という安住の世界を
持つことで、日頃のストレスをチャラにしているのではないでしょうか。

今の子供は、「大人が望むことを敏感に感じ取り、大人の要求にあえて合わせてくれている。」
大人の顔色を窺っている」「自由にしていいよと言われると困ってしまう」
今の大人もさほど変わらないけどね。「自分が何をしたいのかわからない」「自分の価値観だと
思っていたら、自分の本心と違っていた」複雑にねじれ現象を起こしている人が多いと思う。

十人十色。様々な人間のねじれをリセットしてくれるのが「あそび」「遊びに夢中になる」こと。

≪自分を認める≫ということが始まりと以前書いたけど、≪自分を肯定する(認める)=良い面・悪い面・強い弱い・だらしない・などのあらゆる自分をまるごとそのまんま認める≫ことこそ、自分以外の
人間を認め、受け入れることができるのです。世の中には、「生理的に好かない」人もいるでしょうが
自分から見て「好き嫌い」があるだけで「人間」としてみたら、本質的には大きな違いがどれほどあるのでしょうか。

「演劇的アプローチ」は、子供はもちろんですが「大人」こそ、体験してほしいです。
なぜなら、「固まって」しまっているからです。
硬くなってしまった肩こりは辛い。硬くなった脳みそは、なかなか柔らかくならない。


知らないうちに脳みそが軟らかくなり、大きな声を出して体の中から運動して、気づいたらパワーが
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